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PFI刑務所は「小さな政府」に繋がるか [司法]

私の住む島根県ではつい先日、日本で二番目となるPFI(半官半民)刑務所が着工となった。山口県美祢市では、既に日本発のPFI刑務所が誕生している。
厳罰化が進んで受刑者が増えていく中、コスト削減と効率化がその名目である。アウトソーシングによって国費からの支出を抑える「小さな政府」路線のひとつとも言える。確かにPFIによって、税金からの支出は少なくなるのだろう。しかし、国家の権限は小さくなるだろうか。

例えば受刑者が脱獄しようとした場合、委託業者の人間は受刑者の身体拘束を認められていないので、制度上は「通せんぼ」までしか許されていない。そうやって受刑者が逃げ回っているうちに、身体拘束を許されている国の看守が通報を受けて出向き、受刑者を取り押さえることになる。
しかし、こんなことは本当に可能だろうか。脱獄されてしまえば、それを監視する任務に当たっていた従業員は、これ以上ないミスを犯したことで処分される。そのリスクを考えれば、当然ながら、規則違反をしてでも捕まえざるを得ない状況が生まれて来るのではないか。
また受刑者の管理についても、コスト削減の名の下に充分な要因が配備されなければ、もしくは民間企業のシステムに不具合があれば、許されている以上の(又は違法な)身体拘束や暴力をもって管理するしかない場合も出てくるだろう。
しかし、そうした事態が起こった場合にも「うちじゃなくてセコムの問題です」との言い逃れによって、国は責任を負わずにすむ。問題を生む状況に追い込みながら、しかし問題が起こっ場合には、その状況を作り上げた国ではなく、実際に問題を起こしたプレイヤー個人と企業が責めを負う図式になっているわけだ。せいぜい委託する業者を交換するくらいのことで、国の責任は真っ当される。

裁判員制度についても、同じようなことが言える。
6月17日付の朝日新聞・社説では裁判員制度について「裁判員制度導入にはお上まかせへの反省が込められています。戦後憲法は主権在民をうたい、国民一人一人が主役となって国政に参画し、行政を司法を監視・監督することを期待しました。」と述べ、司法を国家から国民の手に移し、司法を監視するための制度として裁判員制度が紹介されている。
しかし、これは幻想と言わざるを得ない。現実には検察や職業裁判官が判決を誘導していても、最終的には裁判員であるところの市民の判断だとして、国が判決に対して免責され得るのが裁判員制度である。
被告人にどのような暴力(身体的拘束や生命の剥奪)をふるうかを決定する場=裁判に、暴力行使の判断を下すプレイヤーとして国民を組み込むことで、国家が責任と非難を免除される構図だ。

どちらも「戦争の民営化」と似ている。戦争を起こすかどうかも、どこでどのような戦争をするかも、いつ戦争をやめるかも、国のみに権限があるにも拘らず、実際のプレイヤーをアウトソーシングすることによって、現場で起こる様々な問題について国は責任を負わなくてすむ。
それによって国は、戦争の現場でいかに戦死者が出ようと、いかに国際法違反の行為が行われようと、(実際にはそうせざるを得ない状況に追い込んでいても)責任を負う必要は無くなる。
いずれの場合も、一見すると国の守備範囲が狭くなっているようでいて、しかしその実、現場を外部委託することによって国は低コストで、責任を負うことなく、最低限の非難を浴びるだけで、より強い権力を持つことが可能になる。

裁判員制度によって、おそらくは更に厳罰化が進み、刑務所は更に拡大せざるを得ず、財政的に回らないので更にPFI刑務所が増え、それによるセコムへの天下りも増え、国側にいる人たちはオイシイ思いをするだろう。

<引用(孫引き)>
【非処罰プロジェクト「"理解"と"信頼"の裁判員制度」】
http://turedure-sisaku.blogzine.jp/sophia/2007/06/post_2e3e.html
<参考>
【萱野稔人「民営化された戦争は国家に何をもたらすか」】
http://kayano.yomone.jp/


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